月山(184m)と新宮谷

2025年10月12日(日)晴後曇 ランク:C 参加者:17名 企画:藤井 写真:河原、野津、小村
コースタイム:武道館8:55−道の駅広瀬・富田城(集合)9:35/9:45−堀尾良晴の墓10:05/10:15− 山中御殿10:25/10:35−三ノ丸10:55/11:05(昼食)−本丸10:55/11:05− 山中鹿之助屋敷跡13:25/13:40−新宮党館跡13:55/14:05−毛利元秋の墓14:25− 道の駅広瀬・富田城(解散)14:40/14:50−武道館15:30

月山富田城を中心とする歴史散歩の企画だったが、予想以上にたくさんの参加者があり驚いた。 新たに新宮谷のコースを入れたことで、より多く興味を持たれたかもしれない。 最初に訪れた堀尾良晴の墓では、良晴が関ケ原の戦いで出雲・隠岐24万石を与えられ、 最初に入城したのが月山富田城だった。松江城を新たに築くまでの間の月山への思いは強く、 良晴の遺骨はこの墓に納められている。
山中御殿は平時の政治が行われ生活の場でもあった。 3つの登城口に虎口があり、毛利の月山攻めではお子守口は毛利元就、菅谷口は三男の小早川隆景、 塩谷口は次男の吉川元春が攻めたが、新宮党や山中鹿之助の活躍で守られた歴史を説明。 閉鎖されていた塩谷口も見物した。 七曲りを登り三ノ丸からの大展望を眺めながら、そのころ飯梨川は広瀬の街の奥を流れていたこと。 そこに川中島があり、毛利の豪傑が一騎打ちを申し出て山中鹿之助が勝利したことを解説。その時の毛利軍の本陣は星上山にあったことなど。
本丸で昼食後山中御殿に下り、菅谷口の虎口から昔の山道を下って新宮谷に入った。 山中鹿之助屋敷跡では、戦いに敗れて捕らえられても逃げ延びて尼子家再興の兵をあげた不屈の精神、忠誠心を語った。最後に備中松山城で待つ毛利輝元と刺し違えることを願ったが、高梁川で吉川元春の配下に殺された歴史を話した。 新宮谷に入り、尼子国久を中心に最強軍団の新宮党のいた館跡へ登った。 新宮党は毛利の策略で、尼子城主により皆殺しされ焼き払われたが、 幼い孫が姥とともに逃げのびることができた。尼子家が滅んだ後、 その孫は後の尼子勝久となり山中鹿之助と共に尼子家再興を図って、 隠岐から忠山で兵を挙げ真山に進出したが、布部の戦いで敗退した。 最後は兵庫県佐用町の上月城で敗れ尼子家は滅んだ歴史。 暑くて汗の出る日だったが参加の皆さんは私の拙い解説に耳を傾けていただき、感謝している。 最後に山中鹿之助がは敗れてもそのたびに逃げ延びて、尼子家の再興を図った不屈の行動、七転び八起きの精神を学んで生きていきたいと締めくくり山行を終了した。

月山には堀尾吉晴の墓がある

関ケ原の戦いで国を与えられ、最初に入城した月山への思いだろう

山中御殿には政治を司る館や武家屋敷があり、3つの登城口があった

登城口の一つだった塩谷口。今は閉鎖されている

七曲りの登りはつらいが、ここで敵の侵入を止められた

山吹井戸。枯れない井戸だった。山吹姫の逸話

三ノ丸の大展望。京羅木山と勝山城は大内の月山攻めに、左の星上山は毛利の本陣に使われた歴史

飯梨川には川中島があり、山中鹿之助と品川大膳介の一騎打ちが行われた

本丸にて、歴史好きの仲間たちの集合写真

木陰でランチタイム

月山富田城の石垣は野面積み

ここから新宮谷に入ります

山中鹿之助屋敷跡へ

休憩しながら鹿之助の七転び八起きの生涯を解説

道の駅に戻り歴史のまとめをして解散