高所をつなぐドロミテ山岳ハイキングへ

2024年6月13日〜6月26日


記:五十嵐惠
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 北イタリアのドロミテには、数多くの長距離遊歩道があり、尖塔のようにつきでた尖峰や岩壁、氷河やカルスト系の地盤など様々な景観が見られるとのこと。今回『変化に富んだ 8 つのルートを歩く』に惹かれ、体力的に不安を抱えながらもS社のツァーに参加した。クラブのSさんと一緒で心強かった。そこはドロマイトと呼ばれる苦灰石を多く含む地層が拡がり、風雨の浸食を受けた灰色の台地は何層にも折り重なり、複雑な地層と奇岩群が特異な景観を呈していた。グレートネイチャー番組のような地殻変動のエネルギーを間近に感じ、おおいに魅惑された。

 初日のトレ・チーメ一周はガスに覆われていて「変化があって良い光景だ」と負け惜しみ。観光写真のような光景は見られなかった。残雪が多いところでは道の両脇が雪壁になっていた。一周の歩行距離は 10km弱、時差惚けの体に活が入れられた。

 二日目、今日から 2 泊 3 日の行程。ディボナ小屋からラガツォイ小屋へのトレイルは登りが中心、標高差約 700mの行程。垂直に聳える岩山の迫力はまるで異世界。緑地に白いへアピンカーブの車道を眼下に見ながら森林限界界隈 2000m前後をトラバースしていった。旅立ちの前日に「残雪があるから軽アイゼンを」との連絡を受けたので、雪は数センチ程度かと思いきや、最後に 2752m地点のラガツォイ小屋まで深い残雪の急斜面を 200m登らなければならず、消耗した。

 三日目、ラガツォイ小屋傍の戦争遺跡やルート沿いの塹壕後を目にした。イタリアとオーストリア戦?いつのこと?こんな高地で戦争を?はてなマークが幾つも並ぶ。資料によると、1915 年(大正 4 年)から 1918 年にかけてこの辺は第一次世界大戦で山岳戦闘地区となった場所とのこと。岩をうがった銃眼や輜重用のトンネルが山中に保存されていた。残雪斜面のラガツォイ峠からタラベナンテス谷を下りた。各国の若者たちが挨拶をしながらすれ違い登って行く。やがて足元の雪はなくなり、急峻な山々、圧倒的な絶壁、荒々しい山塊に心を奪われているうち、スコットーニ湖畔まで来た。ここからはフォルセラ・デ・ラーゴ峠を目指して崖垂を登った。初めて知った言葉、崖垂。『崖錐(がいすい)とは、急崖や急斜面上の風化岩片が落下して形成された地形。岩塊から土砂まで様々な粒径の物質が混ざり合って不均質な崩土を形成している。』とのこと。余りの急斜面と足元の頼りなさに、鞭打たれる心地の標高差 300mだった。峠を越えてからは見渡す限り花が咲き乱れるファネス渓谷。マーモットを見かけては互いにシーッと合図しあった。素晴らしい光景ではあるがいい加減飽きてきた頃、清らかな水の流れに包まれた集落が見えた。ビール醸造もしているファネス小屋に到着。夕食に白ビールを頼んだ。

 四日目、カルストの台地、サスデラ・クルクスを行く。前日同様、見渡す限りに惜しみなく花々が咲いている。黄色はキンバイソウ、ピンクはサクラソウ、青はリンドウ科のゲンティアナなど。アネモネ、オキナグサも群れなして咲いている。ボッティチェッリ 『春』の大地のようだ。一同撮影に忙しい。地層がうねる奇岩群に囲まれた台地、斑の残雪と白い石灰岩の台地が実に清々しい。岩壁は一見垂直に見えるが、黒い部分は斜面で水が流れるため苔が生えており、白っぽい所は垂直で濡れないとの説明だった。雪を踏みしめてメデクス峠まで登った。谷の下にコスタデドイ村が見える。昨日の崖錐に勝るとも劣らない長いガレ場を降りるという。またかい。覚悟を決めて一歩踏み出す。石車に乗らないように、躓かないように、堕ちないように慎重に歩を進めた。写真撮影どころではなかった。樹林帯まで降りてひと息。3 日間で 30km、登り 2000m、下り 2500mになった。

 五日目、本日は日帰りなのでちょっと気が楽。リフトで 2038m地点まで行き、プエズ山歩き。2 時間ほどでチアンペ峠。ここからは平坦なカルスト台地の歩きになった。正面にヴァレルンガ渓谷が広がり、セッラ山群、サッソルンゴ山群が際だって見える。三本旗のビューポイント周辺は風が強く 1 枚重ねたが、トレランの青年たちは半袖半ズボンで盛り上がっていた。頂上花畑には牛が放牧されていて、微妙に異なる音色のカウベ ルがハモって耳に心地よい。ヴァレルンガ渓谷(イタリア語で「長い谷」なんだって)を下りる途中でエーデルワイスに出会った。崖っぷちに 2 輪咲いていた。

 六日目、オドレ山群をのんびり散策トレッキング。明日からのサッソルンゴがくっきり見える。花畑で写真撮影、木彫り彫刻を見つけて写真撮影。ここではマウンテンサイクルで登ってくる姿をよく見かけた。若者ばかりではない、中年?シニア?夫婦もヘルメットとウェアでバッチリ決めている。チェーンがはずれて苦戦している人もいる。フィレンツェ小屋でランチ。放牧している牛のミルクが美味しかった。山を降りてからセルヴァのマーケットをひやかして、ちょっとした買い物をする。山道具店が軒並みで、旅仲間たちが登山靴を買い込んでいた。

 七日目、一泊二日でサッソルンゴを周遊。リフトでモンテ・セウラの 2025mまで上がり、反時計回りで歩いた。緩やかなアップ&ダウン、時にはアップ&アップ。宿泊先で準備してくれる生ハムとチーズのサンドイッチ2ヶがランチボックスのメインだが、一口囓って、おかしいなぁ喉を通らない。大きすぎるし味もなんかなぁ。嗚呼おにぎりが食べたい。天気が崩れてきた、風が強い。レインウエアを着込んだり脱いだり、繰り返す。途中の小屋で休憩するはずと期待していたが、雨が降るから休まず進むという。昼過ぎから急に力が抜けてき、歩きが辛くなってきた。15時過ぎにフレデリックオーガスト小屋に辿り着いた時はヘトヘトだった。そして最悪の夜になった。咳き込みが止まらない。横になると喘息発作になる。ベットと壁の隙間に上半身を起こしてもたれながら夜明けを待った。4人の同室の方々に申し訳なくて消えてしまいたかった。

 八日目、咳き込みながら悪い方へ悪い方へと考えがおちていく。私は大丈夫、大丈夫やれる、と自己暗示をかけながら夜明けを待った。しゃべると咳き込んでしまうのでささやくようにしか話せない。食欲もない。でも夜が明けた分、元気が出てきた。予報では明日の最高峰マルモラーダ(3343m)へのリフトが期待薄らしく、変更してセッラ峠から鞍部のサッソルンゴ峠へリフトであがることになった。これは素敵なひとときだった。 電話ボックスのようなリフトに飛び乗り(飛び降りる)立ったままで移動する。従業員に押し込まれなければ乗り損ねてしまう。降りるときも躓きそうになる。照れくさい笑い声が絶えない。サッソルンゴは標高 3181m。圧倒的な存在感の岩山で、空の青、岩の灰、大地の緑が見事なコントラストを見せていた。何しろ快晴で映える。積雪のサッソルンゴ峠(2681m)に立つと、ヴィア・フェラータのワイヤーやロッククライミングするパーティを間近に眺められ、時のたつのも忘れるほどだった。セッラ峠からは子ども会の親子遠足のような集団と一緒になり、しばらくハイキング気分で歩いたが、途中のリフト乗り場で分かれ、我らの道はさらに続いた。2 日間で 20km、登り 1400m下り 1400mほどだった。今夜はひとり部屋を手配して貰えた。別途料金の支払いを用意したが小屋のご主人の好意とのこと、感謝に耐えない。海外山旅では相部屋が当然と思っていたが、ひとり部屋は気楽でいいものだ。病みつきになりそうだ。

 九日目 天気予報通りの雨と曇りの最終日、マルガ・オンブレッタのトレッキング。体調不良のままだが、帰国するまで保たせたい。林道をあがっていくコースで思いがけずカラフトアツモリソウに出会い感激した。この旅で一番嬉しい出会いだった。鄙びた山小屋を囲む花畑に牛飼い青年と犬、絵画のよう。青年の眼差しに牛への愛しさが伺える。守られ大切にされている数十頭の牛。山小屋にはお婆ちゃんの手作りチーズがあるらしい。期待して来たので、土産用に手に入れたのも嬉しかった。この山旅では余り経験したことのない危ない所もあったが、全員(シニアだ)が怪我なく完走でき、旅で打ち解けた仲間の面々が美男美女に見えた。